亡くなっても診療という言葉に、生きるのも死ぬのも繋がっていると感じた
- 2019.11.26 Tuesday
- 09:45
『おばあちゃんの最後の診療』まちづくり系看護師ぐっちーから
:その方は長年家族による介護を受けていました。
同居の娘さんのほか、看護師のお孫さんも頻回に来られて経鼻栄養のチューブ交換なども行っていました。
寝たきりで発語もない利用者さんですが、
訪問すると家族の皆さんが耳の横で明るい声かけされてました。
お看取りの際には、
多くの親戚が既に集まっており娘さん、お孫さんの他、5〜6人のひ孫さんがAさんを囲み、
永森さんによる死亡確認が始まった。
永森さんはその時におばあちゃんの最後の診療という言葉を使われた。
亡くなっても診療という言葉に、生きるのも死ぬのも繋がっていると感じた。
最初は親に呼ばれたから見てるというような表情だった小学生男子は、ステートで音を聴いたりライトで瞳孔をチェックすると言う時に、一つ一つの説明に対し惹きつけられるような顔になり動作を見つめていた。
他の曾孫さん達も頷いたりしながらしながら見つめていた。
娘さんがいかにひいおばあちゃんを支えていたか、あなた方のおばあちゃんは素晴らしいことをしていたよと、
永森さんが話されると、
ひ孫さんがたはしっかり聞いていて、
命とか心意気とかが受け継がれていくように思えた。
先日の新聞で、どこで最期を迎えたいかと言う質問に対し「
自宅」と答えた人が多かったけど、
そのうちの多くは「病院になると思う」と考えているという記事を見ました。
10数年前に祖父が自宅で亡くなったときはその後に警察の介入があり大変だったと、
親戚が集まると今でもそういう話になることがある。
抵抗感もあるだろうし、在宅診療など自宅で亡くなるための方法が知られていないのだと感じます。
こうやって自宅で亡くなると言う体験をした子供たちは
自宅で亡くなることができるということを身をもって体験したわけなので、
こういう機会が世の中で増えると世の中の流れが変わってくるのだろうと感じた。
最期という大事な場面にいさせていただき、Aさん、ご家族に感謝いたします。
グッチ