下河原さんの兄貴、村上智彦
- 2017.05.12 Friday
- 13:49
下河原忠道:
2011年12月、まだ雪深い夕張でお会いした日のことを今でも鮮明に覚えています。
銀木犀の運営を始めたばかりの右も左も分からない小僧が、救いを求めるように伝説の男へ会いに行きました。
一冊の本「村上スキーム」を握りしめ。
その本には、当時の私が抱いた医療福祉業界の矛盾に対する全ての答えがありました。
初めてお会いする日は飛行機の中から緊張していました。
財政破綻したあの町へ、たった一人で果敢に乗り込み、
「これからはまちづくりだ」と地域医療に帆走されるその姿は、まさに希望の人。
あの村上智彦に会える。
テレビで何度も特集が組まれ、住民や行政に向かって
「変わるべきは自分自身だ」と豪語されるその一貫した姿勢は、
まさに日本人が目指すべき姿勢そのものでした。
村上智彦に比べれば、
今のまちづくりを標榜する人たちなど。
マイナス気温の中、息を白く颯爽と登場した伝説の男は、
紫色のタータルネックに着古した青いベスト姿、缶コーヒーの香りがする気さくな兄貴でした。
しかし、話題が地域医療になった途端、乗り越えてきた人はこうも違うかと圧倒される迫力。
だけど、なんだろうこの安心感は。
到着したばかりの私たちに向かって全力で2時間半、休む間も無く講義をしてくださいました。
息をするのを忘れるほどの緊張感で先生のお話を聞いていた自分がいました。
怒涛の講義が終わるやいなや、私に向かってまっすぐな目で核心的な質問をしてくださいましたよね。
「それで、君は何をしたいんだい?」
そう尋ねる先生に「人が安心して死んでいける住宅を作りたいんです」
そう答えた自分をよく覚えています。
先生は、先ほどまでの厳しい目から瞬間、
まるで家族のような優しいなまざしで「そうかそうか。それでいいよ。僕たちは仲間だね。安心して突き進みなさい。困ったことや悩みがあったらなんでも相談してくるんだよ」
そう言ってくれましたね。
まさに、あそこから銀木犀は始まりました。
先生はいつだって僕の憧れで目標です。
今の自分には何もできないと嘆いていたら、友人が下河原の存在そのものが村上先生の支えなんだと教えてくれました。村上先生が望むことを行動に移すことが大切なんだと。
わかっています。
わかっているけど先生。
一体これからどうやって戦っていけばいいのでしょうか。
先生はいつだって僕の行く先を見つけてくださいましたよね。
先生、僕あれからたくさんの銀木犀を作ったんだよ。
まだ二つしか見てないじゃないですか。銀木犀、どんどん良くなってきたんだよ。
どうか、まだまだこれからも僕たちの作る住宅を見ていてください。
先生は僕を夢だと言ってくれました。夢を表してくれると。
人を育てる人になりなさい。いつもそうおっしゃるたびに、自分にはそんな力量はないと思っていました。
でも、今はその意味がわかります。
村上先生が先陣を切って拓いたその道を、続いて歩く人たちが必要だってことを。
人のせいや、人まかせにするのではなく、
自らの意思で歩いていく。
強い行動力。
当たり前の感覚を忘れない
制度にとらわれない
主体性の活性化
地域住民が自分の地域を守る
持続可能な仕組みを作る。みんなで作り上げる
まちづくり
最強の地域医療 (ベスト新書) 村上 智彦 https://www.amazon.co.jp/…/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_9-6ezbNK395YT