堀田聰子さんという人、ステキ

  • 2014.12.08 Monday
  • 12:26
堀田さん
小学生の時に介助のボランティアに出会い、大学時代に「介護の世界につかまれた」。4時間寝れば大丈夫というタフさを活かし、ケアの担い手にかかわる調査で国内外を飛び回る。オフタイムにはライフワークとして訪問介護・介助の活動を続ける。シンクタンクと東京大学社会科学研究所で培われた調査のプロとして介護の実態と向き合い、現場のイノベーションに光をあて、介護に対話と議論を巻き起こす。「介護職は地域づくりのキーマン」と大きな期待を寄せる堀田氏に介護職の今後の可能性についてうかがった。
プロフィール
1999年に京都大学法学部卒業後、株式会社三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)研究員。2004年より東京大学社会科学研究所人材ビジネス研究寄付研究部門助手を経て同特任准教授。在職中に大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程修了。 2010年春にオランダに渡り、ユトレヒト大学客員教授兼社会文化計画局研究員。2011年4月より現職。専門分野は人的資源管理、介護人材政策。社会保障審議会介護給付費分科会専門委員、地域包括ケア研究会人材部会、社会保障国民会議サービス保障分科会等の委員を務める。ホームヘルパー2級、メンタルケア・スペシャリスト。博士(国際公共政策)。
介助ボランティアで得た社会への「窓」
小学校時代、田舎では成績が良かったために、何につけても勉強ばかりしている印象をもたれていました。当時は周りの目が気になり、息苦しい思いがありました。自分のことをちゃんと見てくれる場を求めてボランティアセンターを訪ねたところ、身体障がいを持つ方々の介助をさせて頂く活動に参加することになりました。「生きる」ことそのものにすさまじいエネルギーを発揮される方々とご一緒するには、120%集中して「そこにいる」ことが求められました。成績の良し悪しなんて関係なく、全身全霊でともにある一瞬一瞬がすべて。この出会いが私にとって、社会への「窓」になりました。私の「勉強がデキルやつ」レッテルなんて比較にならない、「障がい者」というレッテルでひとくくりに見られがちな方々から頂いたかけがえのない贈り物。もっとこの「窓」をシェアしたいという気持ちが私の原点です。
「私」「あなた」という関係を越えて「介護につかまれた」
以来、日常生活介助、外出や旅行の企画・介助、配食、創作等さまざまなボランティアを続けていました。その中で今でも忘れられない出来事があります。大学時代、障がい当事者団体主催のイタリア旅行に介助者として参加しました。介助をさせて頂いたのは、アートを勉強する女性。彼女の夢は、ローマのシスティーナ礼拝堂の天井画を見ることでした。ところがイタリア到着とともに彼女は体調を崩し、観光は断念して現地の医師にもかかって様子を見ながら移動という状態に。10日間ほぼ眠らず、どうにかローマ入りを達成。念願のシスティーナ礼拝堂で2人で天井を見上げた瞬間、ワーッと涙が溢れました。「私」「あなた」という関係を越えて、「あなた」の物語に入らせて頂く圧倒的な感覚に心身が震えました。この瞬間に私は「介護」につかまれたのだと思います。その一方で、当時いろいろな活動を通じて、ケアの現場がなんとなく誰にとっても窮屈になっているように見えました。本来ケアを通じた関係性は限りなく豊かなもの。それを阻むのはなにか、花開かせるには何が必要かという問いがわきあがりました。
現場の熱い思いと政策をつなぐ「窓口」に
一生介護にかかわっていくという確信は持っていましたが、携わり方にこだわりはありませんでした。そのため、大学卒業を目前に進路を考え始めました。大学時代、「日本在宅ケア・ネットワーク」という専門職や行政、家族、当事者等のネットワークの活動にも参加しており、在宅ケアの現場で活躍されている介護職や看護職のみなさんが、ご経験をもとに「もっとこういうことをしたい」「制度はこうあるべきだ」と熱く語るのを、日々うかがっていました。いまや現場での実践、独自の調査研究や分析に基づく発信が政策を変えていく力になっていることを目の当たりにしていますが、当時は、現場の熱い思いが、なかなか政策決定者に届かないように見えました。ならば現場と政策をつなぐ「窓口」になれないかと考え、就職活動ではメディアを利用して社会に問題提起を行うマスコミと実態調査を元に行政へ提言を行うシンクタンクの選考を受けました。どちらを選択するかは少し悩みましたが、まずは実態をしっかり調べ、さまざまな立場の方々と議論しながら、現場経験を持たない政策決定者に対してレポートしたいと思い、シンクタンクに就職しました。
質の高いケアは心身とも充実した介護職がいてこそ
シンクタンクでは、当初介護を中心としながら市民・利用者目線での地域づくりやサービス開発といった観点からさまざまな調査研究に参加していました。介助ボランティアや訪問介護のヘルパーとしての活動もライフワークとして継続し、充実した毎日でした。転機は2年目にやってきました。体力を過信して昼間は調査研究、夜間や週末はヘルパーという日々を続けていましたが、ある日ヘルパーの仕事でいつもなら気づけていたはずの体調の変化を見落としました。幸い大事には至りませんでしたが、介護職の心身の状況がケアの質に大きな影響を及ぼすことを痛感しました。私は介護職として生計をたててきたことはありませんが、労働環境が決して恵まれていないことは中学以来見聞きしていました。この一件をきっかけに、市民・利用者側の実態やニーズを調査するだけでは足りない、そればかりではなく現場で働く人をさらに追い詰めて、介護職と利用者の関係性を苦しくさせることになりかねないのではないかと考えるようになりました。こうした背景から、当時調査研究の蓄積がほとんどなかったケアの担い手、特に介護保険事業所で介護職として働く方々へと調査の関心が移っていきました。
実態に基づく介護労働の議論が進む環境を整える
「調査屋」として一番基本的な役割は、「実態を調べ続ける」ことです。例えば私が調査設計から参画させて頂いている介護労働安定センターの介護労働実態調査は、介護労働の詳細に関する全国調査としてこれまで10回実施しています。職場の状況、働く人たちの実態と意識、なにが意欲・能力を伸ばすのか等を継続的に把握するとともに、その時々の環境にあわせた特別調査を行うこと、調査対象の抽出や回収された調査票のチェック、データクリーニング等を通じて信頼性の高いデータを提供することにこだわってきました。幅広く定期的な介護労働実態調査とは別に、介護職の職務遂行能力の分析、雇用管理と能力開発、ストレス、派遣等の外部人材の活用といったテーマで独自の調査にも取り組んでいます。データは研究者が誰でも使えるように公開し、多くの人が介護労働をめぐる分析ができる環境整備も行っています。近年では経済学者、社会学者等を含めてさまざまな立場から介護労働に関する研究や議論の提起が進んできましたが、現場の方々にもこうした調査をもっと活用して頂きたいと考えています。
ケアの担い手を広くとらえてイノベーションを探す
シンクタンクに約5年勤め、東京大学社会科学研究所に転職。より介護労働に焦点をおいて勉強、調査研究する機会に恵まれました。ちょうど国でも介護労働者の質・量をどう確保するかについての議論が高まってきた時期で、さまざまな検討に参加させて頂くようになりましたが、やや行き詰まりも感じるようになっていました。高齢化がますます進み、団塊世代が75歳以上になる2025年には、いまの約1.7倍にあたる240万人の介護職が必要になるといわれています。改めて「自立支援」を問いなおし、利用者とその身近な人間関係のもつ力を引き出して、ケアを効果的かつ効率的に提供していくイノベーションが求められています。当時、アンケート等による大量調査に加え、多いときは年間50~100か所程度の介護保険事業所にうかがって職員や経営者、利用者、ご家族へのヒアリングを実施していました。実態と課題への手がかりと同時に各地でのさまざまなイノベーションに感銘を受けることが多くありました。実態を調べ、それに即した発信を行うことに加え、同時多発的なイノベーションの意味づけを考えるためにも、自分なりに「あるべき姿」を構想する勉強が不可欠だと考えました。そこで、1960年代に世界で初めて長期ケア保障について強制加入の社会保険制度を導入し、早くから地域を基盤とした統合ケアを志向してきたオランダに着目。東大の任期終了を機に、1年間オランダで研究することにしました。
オランダで出会ったコミュニティケアの新しい形
オランダ滞在中最も衝撃を受けたのは、「Buurtzorg」という在宅ケア組織との出会いです。90年代オランダのケアは機能別の分業化と商品化が進み、暗黒の時代を迎えます。利用者は不満を高め、ケア従事者のやりがいは損なわれていきました。そうしたなか専門職と利用者との関係を基盤として、個別機能ではなく「解決策」を提供しようというミッションを掲げた地域看護師が2006年に起業。いまやオランダ全土で約500チーム、看護師・介護士約5,500人が活躍しています。利用者満足度、職員満足度ともに全国トップ、利用者ひとりあたりのコストは他の組織の約半分で、世界的に注目を集めています。最大12人の自律型チームが全プロセスに責任をもち、自助・互助との協働を重視しながら分業を排してトータルケアを提供します。プロフェッショナル集団であり、全員がリーダー。チームにも組織全体にもマネジメント層はいません。ICT(情報通信技術)を活用して業務を効率化、品質管理を行うとともに、常に5,500人が相互に学び合って連帯感と専門性を高めています。専門職自らが専門性が発揮される組織とビジネスモデルを構想することによって、オランダの在宅ケアは大きく進化したのです。Buurtzorgには日本のケアの将来を展望するうえでもたくさんのヒントがあると思い、調査・議論を重ね、現場・マネジメント・政策関係者にも紹介しています。
住民とともに健康でハッピーな地域をつくる専門職
高齢化が進むなか、複数の病気を抱えながら地域で暮らす方々が増え、単に「病気を治す」ことから、「生活の質を支える」ことへとケアの目標がシフトしてきています。そうすると、医師を頂点とする専門職が与える「治療」を患者が受けるという従来の構図は成り立たなくなってきます。生活の質についての手がかりや、質を高めるための資源は、利用者自身や利用者の暮らしの場全体にわたっているためです。専門職と患者・利用者という関係を超えて、ともに地域で暮らす住民として、より健康でハッピーに生きていくためにはどうしたらよいか、自分たちのこととして、対話を重ねていくことが求められます。Buurtzorgのチームもですが、日本でもあちらこちらで、専門職と住民、行政が協働して予防とケアを手がかりに街づくりを進めるすばらしい事例に出会うようになりました。介護職には、「生活をアセスメントする」という専門性をより広げて、個別利用者のケアにとどまらず、地域の暮らしをアセスメントしてその力を引き出す存在として、ますます活躍して頂きたいと期待しています。
自分や家族、地域が変わっていくダイナミズムが味わえる仕事
介護職は、理想を持って働きがいと仕事そのものの魅力を求めて入ってくる方々がとても多い職種です。どんな職場でもそうですが、最初から「思い描いた通り、パーフェクト!」という状況はおそらくないと思います。でも、すぐにあきらめないこと。自分の意識を高く持っていれば、「志」を同じくする人たちと出会う機会がきっと訪れます。日本の介護はいろいろな特長がありますが、介護保険制度や報酬体系に定期的な見直しが組み込まれていることも世界的に見てユニークな点のひとつです。つまり、現場であるべき姿を追求することによって、自分たちの手で制度やサービスもよりよくしていくことができるわけです。志溢れる人たちとの出会いや協働を経験し、自分が変わり、家族が変わり、地域が変わっていくダイナミズムをみなさんにぜひ味わってほしい。これから介護はますます面白くなっていくと思います。
コメント
プロジェクトプラン2
若年性アルツハイマー型「認知症」の予防方法

はじめに
Asahi Shimbun GLOBE May 2016 No.181より

認知症は「海」のようだ。人類はいまだ、その深さ、広さを知り得ていない。それがゆえに、底知れぬ深みに身震いし、そこに引きずり込まれる自分をイメージしておびえる。10年後、日本では約700万人が認知症になるという。高齢者の5人に1人。溺れずに、泳ぐにはどうすればいいのか。
脳の細胞が壊れることで、記憶が抜け落ちるなどさまざまな症状が出る認知症。この病に苦しむ人は世界で5000万人に迫るが、いまだ特効薬は生まれていない。
認知症の半数以上を占めるアルツハイマー病の場合、薬は4種類ある。エーザイが1990年代に発売した「アリセプト」はその代表格で、ピーク時には世界で年3228億円を売り上げた。だがいずれも症状を改善する対処療法で、進行を数ヶ月から2年弱、遅らせるだけだ。それでも人々は、薬にすがる。(中略)
一般的に治験の成功率は10〜20%程度とされるが、アルツハイマー病薬の場合は0.4%というデータもある。この薬も成功するかどうかは未知数だ。(中略)
※現在、オプジーボとうい薬が治験にはいっている。
最近認可された「がんの特効薬」の治療費は、年間3500万円にものぼる。(中略)
長生きすれば、発症のリスクは高まる。世界保健機構(WHO)などの報告書によれば、60〜64歳の発症率は1%前後だが、80歳を越えると5人に1人が認知症になる。世界では2015年に990万人が新たに認知症になり、患者数は4680万人にのぼる。高齢化が進み、2050年には1億3150万にまで増えるとの推計もある。認知症はそもそも、がんや結核と違い、病気そのものではない。記憶障害や認知機能の低下等、さまざまな症状を合わせた状態を言う。脳の神経細胞がどう変化して発症するのか。アルツハイマー病では、その仕組みすら仮説にとどまる。(中略)
病院や施設をたらい回しにされたり、「問題行動」を薬で抑えられたりといったことが起きている。暴力や妄想等の症状は、言動をとがめられると悪化する。患者のこころを無視するようなケアは、当事者にとってはつらいだけだ。(中略)
世界では3秒に1人、新たに認知症患者が生まれている。国際アルツハイマー病協会の推計によると、2015年の4680万人から、30年には7470万人に増える。(中略)
世界で最も早いペースで高齢化が進んだ日本。2012年時点の患者数は462万人にのぼり、高齢者の7人に1人が認知症だ。団塊の世代が75歳以上になる25年には、5人に1人に増えると予想される。(中略)
東京の在宅医・遠矢純一郎は「認知症で精神科病院に入院中の人の在院日数は平均944日というデータもあると紹介したら、ドイツやギリシャなどの受講生に驚かれた」と話す。欧州では、それほど長期間入院する例はまずないという。「日本では、病院で症状が落ち着いても自宅に返せないことが多い。地域でケアする力が不足し、家族に負担がかかりすぎるからです。(中略)
アルツハイマー病の人の脳の中では、症状が現れる10年以上前からゆっくりとした変化が始まっている。最初はアミロイドβ、次にタウというたんぱく質が脳内にたまると、神経細胞が少しずつ死んでいく。脳の記憶にかかわる部分が縮み始めると、新しい出来事を記憶することが出来なくなる。そのため、財布をしまったことを忘れて「盗まれた」と言ったり、食事を終えた数分後に「食べていない」と訴えたりするなど、直前の出来事も思い出せなくなる。「記憶障害で困るのは『未来の記憶』」と慶応大教授の三村将は話す。「過去の記憶を忘れると周囲は悲しいが、日常生活はそれほど困らない。未来の記憶を忘れると、悪気がないのに約束をすっぽかすなど、すぐに信頼を失う」だが認知症は、記憶が失われるだけの病気ではない。誰もが同じ経過をたどるわけではないが、だんだん、自分が今いる時間や場所がわからなくなり、更に症状が進むと、家族でさえ誰だかわからなくなる。なぜか。たんぱく質がたまると、神経細胞の働きが悪い部分が少しずつ広がり、大事な脳のネットワークが失われるためだ。記憶に必要なネットワークに始まり、言葉を理解して表現するネットワーク、周囲の出来事に注意を払うネットワーク、ものを考えるネットワークなど、さまざまな働きが次第に衰えていく。人の表情を読み、理解したり共感したりする部分が損なわれると、人間関係を維持することがむずかしくなる。認知症は、人間が生まれたときから少しずつ学んで獲得し、その人たらしめている脳の働きを少しずつ奪っていく病気だ。人は誰もが死を迎えるが、その前に脳の細胞がゆっくりと壊れ、自
  • 柴田孝利
  • 2017/02/27 6:50 PM
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM