『ささえる医療と まるごとケアの家 という言葉は現場から出たから』

  • 2017.11.06 Monday
  • 09:55

 

『ささえる医療と まるごとケアの家 という言葉』
(一年前の村上先生からのメッセージ)

私が苦しみ、悩んで来た、
戦う医療や古い地域医療 に対する 
ささえる医療 という言葉

乱立する高齢者施設や宅老所、養護老人ホームなど 
ケアの現場の混乱や悩みに対する 
まるごとケアの家 という言葉

ともに、
現場の人間だから出て来た言葉ですね。
何と無く想いが集まると、
必然的に共通項が出来てくるのだと感じていました。

「田舎の遅れた医療」ではなく、世界最先端の医療とも言えます。

  • 2017.11.01 Wednesday
  • 10:03

『「田舎の遅れた医療」ではなく世界で最も高齢化が進んだ国の地域ですから、世界最先端の高齢化社会の医療とも言えます。』村上智彦の道

私(村上智彦)は昭和54年に北海道薬科大学薬学部へ入学し、その後卒業してから大学院へ進みました。
主に薬物代謝の研究に従事し、毎日ラットやマウスの飼育に追われ、実験をして過ごしていました。
最近になり薬学部は6年生となりましたが私の時代は4年生でした。つまり薬学部は本来6年位かけるべきカリキュラムを4年でやっていく訳ですから、かなり過密なスケジュールに追われた大学生活でした。自分が薬学部で学んできた事の意味や応用を考えられたのは、大学院の2年間であったと思います。
薬剤師の免許を取得後勤務しながら臨床検査技師の資格も取りました。
それから27歳で再度受験して医学部へ入学し、卒業して医師免許取得後に栃木県にある自治医科大学の地域医療学教室へ入局しました。

医学部の学生時代から地域医療の研修ができる大学や病院を探していましたが、日本は諸外国と違い専門医教育ばかり優先されていて、なかなか色々な科を研修して地域で働くための広い知識や技術を学ぶ事が出来る施設はありませんでした。

この専門医育成に極端に偏った医学部教育も地域で働く医師が少ない大きな理由です。
例えば循環器の専門医が地域に赴任したとします。

当然来る患者さんは循環器の病気ばかりではないわけですから、自分で勉強したり冷や汗をかきながら自分の得意分野以外の診断や治療をする事になります。

かといって多科の医師を雇ってあちこちの田舎で総合病院を建てるのは採算性や規模を考えますと無理があります。


元々北海道では「地域医療の充実」は各自治体に100床の国保病院を建てることであり、医師は大学から派遣されるのが当たり前で、明治時代から病院の数が日本でも多い地域でした。


中身よりも数や箱の大きさが優先され、

結果として最近になりそれが負担になって来たわけです。


私の感覚では最近の医療機関の崩壊で医療の後退と表現される事が多いのですが、本州に比べて多すぎたものが適正化されるだけの話で、あったものが無くなると大騒ぎするといった気がします。

面積が広いとか冬が厳しいといいますが、

長野県や新潟県でも面積が広くて雪も多いのですが、

はるかに少ないインフラで質の高い医療を実現しています。

 

専門医に対して総合医や家庭医、プライマリケア医と呼ばれる、ありふれた疾患を中心に広い範囲の科の疾患に予防も含めて対応できる医師であれば、少ない人数や規模で質の高い地域医療を展開することが可能になります。


地域住民の事を考えますと「病気を探す医療」ばかりではなく、「病気にさせない」予防医療に取り組んで、重症で特殊な病気を減らしていくといった発想もできる訳ですから、
地域全体を考えますとより必要とされる医師ではないかと思います。

 

自治医大での研修というのはかなりユニークなものでした。
当時の教授は北海道の厚岸町で長年地域医療を実践してこられた五十嵐正紘先生で、ここでは医師になってまず地域へ派遣され、それから大学で内科、外科、小児科、皮膚科、耳鼻科といった多くの科を2年かけて研修し、後半の3年間は主として地域の病院で働き、自分なりに課題を持ってまた大学へ戻り、医療機関へ行き研修するといったもので、研修内容もかなり自分でアレンジできるものでした。


研修先は必ずしも特殊な疾患に偏った大学病院ばかりではなく、民間病院や市中病院等も含まれていました。


「スキーを学ぶためにはスキー場で学ぶべき」であり、いくら学校で勉強しても上手くはなれません。
もちろん理論やルールを学ぶことも大切ですから学校は必要ですが、学ぶための動機がないと知識というのはなかなか身に付きにくいものだと思います。

そこで私は地域医療の多くの先輩達に出会う中で「地域医療の面白さ」「地域でのやりがい」に気が付く事ができました。
私は医師のやりがいというのは必ずしも研究をしたり、珍しい病気を見つけたり、最新の医療機器を使いこなす事ばかりではないと思っています。


医師法の第1条には医師の仕事というのが次のように規定されています。

 

「医師は医療および保健指導をつかさどる事によって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする」とあります。

 

ありふれた病気、生活習慣病を科学的根拠に基づいてキチンと治療し、あるいは予防し、住民の生活を支えて安心して住める地域を作ることが本来の医師の仕事だと考える様になったのです。

 

それがあって初めて都市部の専門の医療機関も円滑に機能し、

本当に専門的な医療を受ける必要がある患者さんが適切に医療を受け、また自分の地域に帰れるのだと思います。


おそらく十分やりがいのある、そして自分の目の前で身近に結果の見えるという楽しみもあるものだといまだに思っています。

 

地域は都市部に比べて高齢化が進んでいるのですから、

ある意味少子高齢化のモデルであるわけです。
ここで少ない経費で生活の質も良く、安心して住めるシステムを作れば、

都市部や国全体の高齢化が進んだときにかけがえのない前例になるとも言える訳です。
稀な病気、特殊な病気の診断や治療が進歩する事も大切ですが、

大部分を占める生活習慣病を克服し、

重症化させない事の方が地域全体を考えますと大切な事だと私は思います。

 

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、座ってる(複数の人)、帽子

共に北海道の地域医療を取り組んだ一木先生たちから祈りをもらった時。

教会に行けたと喜んでいた

 

画像に含まれている可能性があるもの:空、家、雲、木、屋外

上記のような話を最後までしていた。。この時も

〜暗いイメージしかなかった北海道の地域医療〜村上智彦の道

  • 2017.10.28 Saturday
  • 18:36

〜暗いイメージしかなかった北海道の地域医療〜村上智彦の道
医師になるまでの思い、村上智彦

 

私(村上智彦)が医師になる前にイメージしていた北海道の地域医療というのはこんな感じでした。

 

●北海道の地域で働く医師の給与は本州よりかなり高いのに、なかなか見つからず、やっと見つけた本州の医師も開業資金を貯めるために数年間地域で働き帰って行く。

●多くの医師は医療技術や知識が遅れる事を恐れ、あるいは田舎の不便な生活や田舎の人達の閉鎖的な対応を嫌い行くのを嫌がり、大学の教授の命令で仕方なく赴任する。赴任後は大学へ帰れる日を夢見ながら地域に目を向けないで仕事をする。時には医局の左遷人事やペナルティーとして田舎へ飛ばされ、失意のうちに去っていく。

●地域では医師確保が選挙公約の目玉となり、政策や人格に関係なく医師を連れてきた人が首長になる。しかし、高額な給与や医局費と引き換えに、町の保健・医療・福祉は医師に丸投げにされてしまい、数年で疲弊した医師は辞めていく。

●医療の確保も困難である事で若い世代の人達は都会へ移り住み、さらに過疎化が進む。

●地域のために真剣に働こうとして赴任した医師も、自治体のやる気の無さや住民の意識の低さに憤慨し、あるいはよそ者扱いされ、多くが数年で辞めていく。

 

こんな事を書くとお叱りを受けるかもしれませんが、
どちらかと言うと「赤ひげ」「犠牲」「献身的」といった言葉に象徴されるように、
北海道の地域医療に対しては暗いイメージを持っていました。

「親のロマンは子の不満」
親は地域医療に夢を持ち赴任するが、家族は田舎の閉鎖性やプライバシーの無さ、不便さに耐えられず、或いはいじめにあい、医師の多くは家族の問題で辞めていく。といったニュアンスの言葉です。

 

しかし、厳しさはあるものの自然環境に恵まれ、
そこに人が住み、農業や漁業、酪農といった一次産業を支えてくれていて、それこそが生まれ育った北海道の特色なのだから、
誰かが地域住民の健康や安全・安心を支える必要があるとも思っていました。


札幌で薬剤師として働いていた私は、医学部へ進学し、
北海道で地域医療をやるために医師となり、
日本で数少ない地域医療の研修の出来る自治医科大学地域医療学教室へ入局しました。

ハードルは高いとは思いました。


しかし、だからこそ挑戦したいとも思っていた私は、
何とか今までとは別の手法、アプローチで北海道の地域医療に挑戦しようと思い、
平成11年に瀬棚町へ赴任しました。

画像に含まれている可能性があるもの:空、木、屋外、自然

これからの医療費介護費を考えるときにも参考に

  • 2017.10.27 Friday
  • 14:50

瀬棚町での村上先生の取り組みは、
これからの医療費介護費を考えるときにも参考に:

(村上智彦H11〜17の取り組み)人も物も予算も限られた過疎の瀬棚町で、診療所の所長として赴任した私は行政と協力し、限られた社会資源を有効に利用して
「予防医療を実践した地域包括ケア」
を構築していきました。
日本初の肺炎球菌ワクチンの公費助成、
インフルエンザワクチンの公費助成、
ニコチンパッチの公費助成制度「やすみどり」、
冬期間の運動不足解消とメタボリックシンドローム対策「ほそみどり」、
ヘリコバクターピロリ菌の尿中抗体検査の一般検診への導入、各種健康講和や健康教室等を保健事業として行い、
医療と行政、住民が一体になり取り組んでいくシステム作りを進めてきました。

結果として、
かつて日本一だった瀬棚町の高齢者一人当りの医療費は半減し、
住民の健康意識も以前とは随分変わることになります。

自動代替テキストはありません。

『瀬棚時代の村上先生の経験と思想』

  • 2017.10.26 Thursday
  • 09:37

『瀬棚時代の村上先生の経験と思想』村上智彦の道

北海道瀬棚郡瀬棚町(現久遠郡せたな町瀬棚区)は函館から車で約2時間、札幌からは3時間半の距離にある、道南桧山地区に位置する漁業と農業、酪農の町です。
私が赴任した平成11年の時点では、人口約2,800人で高齢者の割合は29%。3人に1人は高齢者という過疎の町でした。

そんな人も物も予算も限られた過疎の町で、診療所の所長として赴任した私は行政と協力し、限られた社会資源を有効に利用して
「予防医療を実践した地域包括ケア」
を構築していきました。

日本初の肺炎球菌ワクチンの公費助成、インフルエンザワクチンの公費助成、ニコチンパッチの公費助成制度「やすみどり」、冬期間の運動不足解消とメタボリックシンドローム対策「ほそみどり」、ヘリコバクターピロリ菌の尿中抗体検査の一般検診への導入、各種健康講和や健康教室等を保健事業として行い、医療と行政、住民が一体になり取り組んでいくシステム作りを進めてきました。
結果として、かつて日本一だった瀬棚町の高齢者一人当りの医療費は半減し、住民の健康意識も以前とは随分変わることになります。

瀬棚町の取り組みは結果が出た事で「瀬棚方式」としてマスコミにも注目されるようになり、各種の新聞やテレビ等でも取り上げられ、講演依頼や他の地域の行政担当者、議員等の見学も沢山来るようになりました。
また、多数の医学部の学生、研修医、薬剤師等の医療関係者も見学や研修に訪れるようになり、瀬棚町は将来の地域医療の担い手の育成の場にもなりつつありました。

しかし平成17年9月に瀬棚町は周辺の北桧山町、大成町と合併し、せたな町となりました。
新町長が選出され、
それに伴って行政の保健・医療・福祉への取り組みは一変し、
従来の箱物、交付金依存型の旧態依然としたスタイルとなり連携も困難となってしまいました。

市町村合併、北海道の僻地の住民や行政の意識、
田舎のエリートの非常識、
地域医療の抱える根本的な問題点等合併後のせたな町は、
時代に逆行する選択をしたと思いますが、
我々も民意には勝てません。
様々な経緯はありましたが私はこの地域を辞めさせられる事になりました。

今回機会を頂きましたので、北海道の地域医療に取り組んだ7年間と、そこで経験した北海道の地域医療の問題点や今後の展望等について書いてみたいと思います。

H17年、村上智彦

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