西村先生〜村上先生の話が全部読めます〜〜

  • 2017.09.22 Friday
  • 16:45

いままでの、西村先生〜村上先生の話が全部読めます〜〜

・第1回「がんと向きあう」とは・・・2017.5.03 update.
  第1回おまけ●「それぞれの第一印象はどんな感じ?」

 

・第2回「死の受容」とは・・・2017.5.09 update.
  ゲスト●宇都宮宏子●「在宅ケア移行支援」の伝道師ナースが、友として

 

・第3回「患者の居場所」とは・・・2017.5.22 update.
  ゲスト●秋山正子 ●「ことのは」を君に捧ぐ

 

・第4回「患者の気もち」とは・・・2017.6.10 update.
  ゲスト●佐々木淳 ●ふたりの言葉に誓う

 

・第5回「人生のものがたり」とは・・・2017.6.30 update.
  ゲスト●加藤忠相 ●『命の使い方』をみせられて―『お悔やみ』を言えなかった僕の決意

 

・第6回「私をはげますもの」とは・・・2017.9.04 update.
  最終回特別出演●西村詠子/村上浩明  
  ゲスト●下河原忠道● 私を今、はげますもの

 

 

「がん患者医のケア言葉 西村元一と村上智彦のみる風景」アーカイブ

「かんかん!」は医学書院が提供する、看護師のための無料webマガジン。

IGS-KANKAN.COM

 

「私を今、はげますもの」。つながりです

  • 2017.09.14 Thursday
  • 13:08

村上浩明(医療法人社団ささえる医療研究所 副本部長)|
「私を今、はげますもの」。つながりです

 

 父(村上智彦)が私に遺してくれたのはいくつかの短い言葉と、すばらしい人たちとのつながりでした。

私が前を向けたのは、その人たちとのつながりが私を励ましてくれているからです。

 白血病だとわかったとき、真っ先にと駆け付けてくれた人たちがいました。

主治医にもうダメかもしれないと言われたとき、病室に入れなくていい、会えなくてもいいからと傍に来てくれた人たちがいました。

「ささえる」の大切ななかまたちが、父や私たち家族をいつも助けてくれました。

多くの人々から、手紙や写真やSNS等を通じて励ましの言葉をいただきました。どなたも誠実で、公(おおやけ)のために働く人たちばかりです。

 

 何をしたら、ここまで人に思われるのでしょうか。
 若月賞を受賞したから?
 夕張の医療を立て直したから?
 地域医療のありかたを提唱したから?
 本当にそうでしょうか?
 
 そもそも、父がしてきたこととは何だったでしょうか?
 ジャンルを問わず地域のために先進的な活動をしている人の背中を叩き、
「あんたはすばらしいよ! 間違ってないからこのまま続けてよ!」と声をかけていました。

おもてなしが大好きだったので、来てくれた人にはお気に入りの場所を案内していました。

ゲストが初対面にもかかわらず、数時間は熱く地域医療やケアを語り続けていました。

 

「村上智彦の一番の功績は、人を育てたこと」

 そう言われたことがあります。

 

ですが、父が教育熱心な人だったとは思えません。

人に何かを教え込むようなことは、好きではなかったと思います。

その代わりに父は、まず背中を見せました。誰よりも汗をかき、誰よりも熱意を示しました。

そうしてついてきた人たちに、何もかも任せました。

疑いもせずにやれると信じ切って、権限も全て渡しました。

その姿を見守り、応援し続け、成果を上げれば自分のこと以上に喜びました。
これが父のしていた「人を育てる」ということです。

 

父はいつも誰かのために、公のために働き続けていました。
そんな父だから多くの人を勇気づけ、その人たちに慕われ、幸福な人生をまっとうできたのだと思います。
父は、彼と関わった周りの人々にささえられている人でした。


治療のさ中、何度も何度も挫けて、身内に当たり散らし、もうダメだと悲観的になりました。そんな状態でも、お見舞いに来てくれた誰かと話せばたちまち元気になりました。
亡くなる1週間前の病状のなかですら、客人と3時間以上語り続けていました。

 

そして今は、父を慕う人たちが私たちを励ましてくれています。

 

「父親が有名だと大変じゃない?」


よく言われる言葉ですが、実はそう思ったことはありません。
では、「村上智彦の息子」としか見られないことは?
これも、悪く思ったことなどありません。

彼の息子だったおかげで、誰もが気さくに声をかけてくれます。

貴重な話をしてくれます。

無償でノウハウを教え、育てようとしてくれます。

父親が亡くなっても、親戚のように励ましてくれます。

こんなに恵まれたことはありません。

父に、そして私を励ましてくれる素晴らしい人たちに、感謝しかありません。
少しでもそれを返せるよう、

私も公のために、少しずつでも貢献していきたいと思います。 

 

http://igs-kankan.com/article/2017/09/001049/

あの人にだけは思いっきり甘えられる

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 08:29

(下河原さん)

思いが溢れるんだ。あの人にだけは思いっきり甘えられる。
お兄ちゃんみたいな存在。兄貴が生きていたらきっとあんな人だったんだろうなぁって。

先生の容態が悪化していると聞き、胸が張り裂けそうな日々を過ごしていた。家族の前で大声で泣き叫んだ夜もあった。改めて自分の心の支えだったこと、大きな存在だったことに気がつかされた。

そんなときに奥様の千春さんから、村上先生から僕宛に とメッセージをいただいた。そこにはこう書かれていた。

「下河原さんが夢だった。下河原さんが夢を表してくれる。
 凄く嬉しい。自分の恩師や永森みたいに、人を育てる、
 そういう人になると思っている。作るのが大変なのは自分も
 よくわかっているけど、何年かした時に後に人が続いて
 色んな形になっていたらいいなぁ。
 ありがとう。心配してくれて。充分だよ」

僕は無理を承知で、お願いのメッセージを千春さんに送った。
いや、お願いではない。
断られても行きますとすでに家を出ていたのだ。
村上先生との夕張での出会いをつないでくれた本(『村上スキーム』)を抱きしめて。
わがままは認めます。
たくさんの人たちが会いたい気持ちを我慢しているのに。
でもどうしても我慢できなかった。
そして、やっぱり先生は会ってくれた。

病室には村上先生と話す北大の若い医師がいた。
その若い医師は村上先生に憧れていたと告白をしていた。
ここにも同じ気持ちの人がいることが無性に嬉しかった。

村上先生は普段と何も変わらない表情で僕の顔を見て微笑んでくれた。
いろんな話をしてくれた。あの大雪の中、夕張で出会った日のこと。
安心して人が死んでいける住宅をつくること。
家族のこと。これからの事業のこと。
私の事業がシンガポールで表彰されたのを自分のことのように喜んでくれた日のことも。死の淵に立たされているこの瞬間にも人の心配をしている大地のようなデカさ。
いつもの村上智彦だった。
強くて優しくて希望の人そのものだった。
つらかった。
この世界からいなくなってしまうと思うと苦しくて寂しくて胸が張り裂けそうだった。
でも、悲しんでいる場合じゃないんだぞと感じさせる強さを村上先生は見せ続けてくれた。
いつものようにやる気に満ち溢れた状態で僕を送り出してくれたのだった。
なんて人なんだろう。
僕は村上智彦になりたい。
少しでも村上智彦に近づきたい。
病室を出る時に最後に見た先生は、天井を仰ぎ、心に刻む祈りのような表情だったことを今でもはっきりと覚えている。

大切なことはすべて先生が教えてくれた。
会いたい。
村上智彦に会いたい。
あの人は優しいからすぐに甘えさせてくれるけど、もうここにはいない。でも、すごく強い力で今でも支えてくれている。
これからどんなことがあってもそばにいてくれると思っている。もう孤独ではないと教えてくれたんだ。


勇気を持って進んでごらんと、いつも励ましてくれた。
俺たちで変えるんだ。
絶対にできる。
多くの人に希望を与えてくれたあの人に続いていくんだ。

村上智彦が目指している場所は、今でも誰かの心に生き続けている。

第6回【最終回】 「私をはげますもの」とは・・・

「かんかん!」は医学書院が提供する、看護師のための無料webマガジン。

IGS-KANKAN.COM

 

「地域共生社会」へ

  • 2017.09.09 Saturday
  • 22:00

「地域共生社会」は厚労省が新しい福祉の青写真として打ち出したコンセプト。
介護や障害、子育て、生活困窮といったジャンルに当てはめるのをやめ、困難を抱えている人をワンストップの仕組みで総合的に包摂していく ーー 。
必ずしも「支え手」「受け手」という関係にこだわらず、本人も含めたあらゆる関係者が当事者として協働していく ーー 。
そうした考えが軸になっている。
施策のターゲットを高齢者のみに限定していない点からも、
「地域包括ケアシステム」より広い意味を持つと言っていい。
厚労省は「我がこと・丸ごとの地域づくり」というコピーをつけている。

こうしたコンセプトが重視されるようになった背景には、現場を支える人材の確保が以前にも増して難しくなってきた一方で、ニーズの多様化・複雑化がさらに進んでいる現実がある。
厚労省は今年の通常国会で社会福祉法を改正。
「地域共生社会」の理念を書き足し、その推進に努めることを自治体の役割として位置付けている。

地域共生社会、予算拡充を要求 モデル事業を全国200自治体へ展開 厚労省

 

鹿児島の太田先生(歯科医から);村上、永森先生らの取り組みにようやく時代が追いついてきましたね。
さすがです。

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

夕張時代の基本理念〜〜^^

 

「私を今、はげますもの」。つながりです

  • 2017.09.07 Thursday
  • 12:31

「私を今、はげますもの」。つながりです

村上浩明

 

 父が私に遺してくれたのはいくつかの短い言葉と、すばらしい人たちとのつながりでした。私が前を向けたのは、その人たちとのつながりが私を励ましてくれているからです。

 

 白血病だとわかったとき、真っ先にと駆け付けてくれた人たちがいました。主治医にもうダメかもしれないと言われたとき、病室に入れなくていい、会えなくてもいいからと傍に来てくれた人たちがいました。「ささえる」の大切ななかまたちが、父や私たち家族をいつも助けてくれました。多くの人々から、手紙や写真やSNS等を通じて励ましの言葉をいただきました。どなたも誠実で、公(おおやけ)のために働く人たちばかりです。

 

 何をしたら、ここまで人に思われるのでしょうか。

 若月賞を受賞したから?

 夕張の医療を立て直したから?

 地域医療のありかたを提唱したから?

 本当にそうでしょうか?

 

 そもそも、父がしてきたこととは何だったでしょうか?

 ジャンルを問わず地域のために先進的な活動をしている人の背中を叩き、

「あんたはすばらしいよ! 間違ってないからこのまま続けてよ!」と声をかけていました。おもてなしが大好きだったので、来てくれた人にはお気に入りの場所を案内していました。ゲストが初対面にもかかわらず、数時間は熱く地域医療やケアを語り続けていました。

 

「村上智彦の一番の功績は、人を育てたこと」

 

 そう言われたことがあります。ですが、父が教育熱心な人だったとは思えません。人に何かを教え込むようなことは、好きではなかったと思います。

 

その代わりに父は、まず背中を見せました。誰よりも汗をかき、誰よりも熱意を示しました。そうしてついてきた人たちに、何もかも任せました。疑いもせずにやれると信じ切って、権限も全て渡しました。その姿を見守り、応援し続け、成果を上げれば自分のこと以上に喜びました。

これが父のしていた「人を育てる」ということです。

 

21268628_1524989934246416_2136923917_n.jpg

父はいつも誰かのために、公のために働き続けていました。

そんな父だから多くの人を勇気づけ、その人たちに慕われ、幸福な人生をまっとうできたのだと思います。

父は、彼と関わった周りの人々にささえられている人でした。

治療のさ中、何度も何度も挫けて、身内に当たり散らし、もうダメだと悲観的になりました。そんな状態でも、お見舞いに来てくれた誰かと話せばたちまち元気になりました。

亡くなる1週間前の病状のなかですら、客人と3時間以上語り続けていました。

 

そして今は、父を慕う人たちが私たちを励ましてくれています。

 

「父親が有名だと大変じゃない?」

よく言われる言葉ですが、実はそう思ったことはありません。

では、「村上智彦の息子」としか見られないことは?

これも、悪く思ったことなどありません。彼の息子だったおかげで、誰もが気さくに声をかけてくれます。貴重な話をしてくれます。無償でノウハウを教え、育てようとしてくれます。父親が亡くなっても、親戚のように励ましてくれます。こんなに恵まれたことはありません。父に、そして私を励ましてくれる素晴らしい人たちに、感謝しかありません。

少しでもそれを返せるよう、私も公のために、少しずつでも貢献していきたいと思います。 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM