『野菜と地域性と健康と』

  • 2017.10.21 Saturday
  • 08:36

『野菜と地域性と健康と』
カリウム、食物繊維、抗酸化ビタミンなどの摂取は、
循環器疾患やがんの予防に効果的に働くが、
通常の食事として摂取することが望ましい。

平成9年で成人の野菜の1日あたりの平均摂取量は292gであるが、
前述の栄養素の適量摂取には、野菜350〜400gの摂取が必要と推定されることから、
平均350g以上を目標とする。

厚労省資料から

 

自動代替テキストはありません。

 

村上先生は、ずっと、健康になるには、

食べ物と運動以外にないと語っていました

「私を今、はげますもの」。つながりです

  • 2017.10.14 Saturday
  • 15:26

村上浩明(医療法人社団ささえる医療研究所 副本部長)|
「私を今、はげますもの」。つながりです

 

 父(村上智彦)が私に遺してくれたのはいくつかの短い言葉と、すばらしい人たちとのつながりでした。

私が前を向けたのは、その人たちとのつながりが私を励ましてくれているからです。

 白血病だとわかったとき、真っ先にと駆け付けてくれた人たちがいました。

主治医にもうダメかもしれないと言われたとき、病室に入れなくていい、会えなくてもいいからと傍に来てくれた人たちがいました。

「ささえる」の大切ななかまたちが、父や私たち家族をいつも助けてくれました。

多くの人々から、手紙や写真やSNS等を通じて励ましの言葉をいただきました。どなたも誠実で、公(おおやけ)のために働く人たちばかりです。

 

 何をしたら、ここまで人に思われるのでしょうか。
 若月賞を受賞したから?
 夕張の医療を立て直したから?
 地域医療のありかたを提唱したから?
 本当にそうでしょうか?
 
 そもそも、父がしてきたこととは何だったでしょうか?
 ジャンルを問わず地域のために先進的な活動をしている人の背中を叩き、
「あんたはすばらしいよ! 間違ってないからこのまま続けてよ!」と声をかけていました。

おもてなしが大好きだったので、来てくれた人にはお気に入りの場所を案内していました。

ゲストが初対面にもかかわらず、数時間は熱く地域医療やケアを語り続けていました。

 

「村上智彦の一番の功績は、人を育てたこと」

 そう言われたことがあります。

 

ですが、父が教育熱心な人だったとは思えません。

人に何かを教え込むようなことは、好きではなかったと思います。

その代わりに父は、まず背中を見せました。誰よりも汗をかき、誰よりも熱意を示しました。

そうしてついてきた人たちに、何もかも任せました。

疑いもせずにやれると信じ切って、権限も全て渡しました。

その姿を見守り、応援し続け、成果を上げれば自分のこと以上に喜びました。
これが父のしていた「人を育てる」ということです。

 

父はいつも誰かのために、公のために働き続けていました。
そんな父だから多くの人を勇気づけ、その人たちに慕われ、幸福な人生をまっとうできたのだと思います。
父は、彼と関わった周りの人々にささえられている人でした。


治療のさ中、何度も何度も挫けて、身内に当たり散らし、もうダメだと悲観的になりました。そんな状態でも、お見舞いに来てくれた誰かと話せばたちまち元気になりました。
亡くなる1週間前の病状のなかですら、客人と3時間以上語り続けていました。

 

そして今は、父を慕う人たちが私たちを励ましてくれています。

 

「父親が有名だと大変じゃない?」


よく言われる言葉ですが、実はそう思ったことはありません。
では、「村上智彦の息子」としか見られないことは?
これも、悪く思ったことなどありません。

彼の息子だったおかげで、誰もが気さくに声をかけてくれます。

貴重な話をしてくれます。

無償でノウハウを教え、育てようとしてくれます。

父親が亡くなっても、親戚のように励ましてくれます。

こんなに恵まれたことはありません。

父に、そして私を励ましてくれる素晴らしい人たちに、感謝しかありません。
少しでもそれを返せるよう、

私も公のために、少しずつでも貢献していきたいと思います。 

 

http://igs-kankan.com/article/2017/09/001049/

村上先生の夢ー10次産業

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 10:20
10次産業の夢 ささえる医療研究所が進めているソーシャルキャピタル・シェアモデルの実例について少し書いてみます。 従来の一次産業、二次産業、三次産業に最近はそれらを足した六次産業という名称があります。 農家〔一次産業〕が作物を自ら販売し、その作物から加工品を作り販売〔二次産業〕、さらにファームレストランを自ら運営していく〔三次産業〕といったものです。 実際に北海道の空知地方にはこの様な店が多数見られます。 味も勿論ですが、食の安全や安心にも考慮した産業だと思いますし、若い方の雇用を守り、人口減少社会にの解決策の一つになると思います。 消滅可能性都市が76%、少子高齢化に人口減少が加速度的に広がる北海道では、なかなかこれだけでは解決は難しいとおもいます。 一番大きい原因は、高度成長病から抜けられない人が多いとい事です。 特に行政や大企業になるほどその傾向にあります。 そこで、こんな言葉は無いのかもしれませんが、四次産業という言葉を作ります。 これは従来の産業に医療やケアを加え、高齢になっても障害を持っても、住み慣れた地域で生きて死んでいける aging in place を具体化した仕組みです。 個人の利益や権利よりコミュニティを最優先にするにが大切なルーツです。 キーワードは 覚悟 愛着 物語 です。 それが無い人はコミュニティに戻る必要すらありません。 何でも平等という悪しき平等は高度成長病で、自ら決めて動く人が多く無いと成り立たないからです。 実際に私達は空知に広大な農地を持つ事になりました。 元々そこでうちの看護師が半農半看護の生活をして、無農薬有機農法で小規模の畑をやって、作物は知り合いに売っていました。 私達が目指しているのは、医療者や農業の専門家が付加価値の高い作物を考えて選び、収入は少なくても良いから、地元の雇用を守り、自分達も楽しんで作り、食べて健康になると言ったイメージです。勿論ですが医療者やケアに関わる人達も農作業に参加します。 私はそんな場所の管理人になるのが一番の目標でした。 事務や経理はバックオフィスを作りSNSを活用し、一括することでバランスをとり経費を節約します。 高齢化した農業地帯に、医療やケアが仲間として入る事で、定年が伸びて、健康寿命が増えて、ねたきりも減り、障害者も安心して働けて、若い世代の雇用も作れると言ったイメージです。この理念だと農業ばかりではなく、他の分野とも広く簡単にコラボできます。 漁師さんや温泉、レストランやパン屋、ケーキ屋さん、大工さん、電気屋さん等等 です。 特にケアは医療とは違い生活そのものなので、他の産業との親和性が高いと思います。 要は地域の埋もれた資源を掘り起こし、地域力を高めるためのモデルです。 これを四時産業と呼んで、従来の六時産業に足すと10次産業になると言うわけです。 高齢化を受け入れ、医療やケアを仲間にして、コミュニティを守る様な取り組みを10次産業と呼ぶわけです。 おそらくこれは行政が主導でやると絶対に失敗するので、民でも官でも無い 公がやる事がもっとも大切です。 ソーシャルキャピタルシェア・モデルとは、人の繋がりを重視したモデルですが、その具体例ではないかと思います。 このモデルは何処でも出来るし、規模も関係ありません。 従来の産業が高齢者した時にも有効だと思います。 医療機関がその地域になくても連携したら良いだけです。 無いと出来ないと言うのは典型的な高度成長病で、覚悟も愛着も物語も足りません。 入院しながら、そんな妄想を膨らます毎日ですが、何とか具体化していきたい 村上智彦

西村先生〜村上先生の話が全部読めます〜〜

  • 2017.09.22 Friday
  • 16:45

いままでの、西村先生〜村上先生の話が全部読めます〜〜

・第1回「がんと向きあう」とは・・・2017.5.03 update.
  第1回おまけ●「それぞれの第一印象はどんな感じ?」

 

・第2回「死の受容」とは・・・2017.5.09 update.
  ゲスト●宇都宮宏子●「在宅ケア移行支援」の伝道師ナースが、友として

 

・第3回「患者の居場所」とは・・・2017.5.22 update.
  ゲスト●秋山正子 ●「ことのは」を君に捧ぐ

 

・第4回「患者の気もち」とは・・・2017.6.10 update.
  ゲスト●佐々木淳 ●ふたりの言葉に誓う

 

・第5回「人生のものがたり」とは・・・2017.6.30 update.
  ゲスト●加藤忠相 ●『命の使い方』をみせられて―『お悔やみ』を言えなかった僕の決意

 

・第6回「私をはげますもの」とは・・・2017.9.04 update.
  最終回特別出演●西村詠子/村上浩明  
  ゲスト●下河原忠道● 私を今、はげますもの

 

 

「がん患者医のケア言葉 西村元一と村上智彦のみる風景」アーカイブ

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あの人にだけは思いっきり甘えられる

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 08:29

(下河原さん)

思いが溢れるんだ。あの人にだけは思いっきり甘えられる。
お兄ちゃんみたいな存在。兄貴が生きていたらきっとあんな人だったんだろうなぁって。

先生の容態が悪化していると聞き、胸が張り裂けそうな日々を過ごしていた。家族の前で大声で泣き叫んだ夜もあった。改めて自分の心の支えだったこと、大きな存在だったことに気がつかされた。

そんなときに奥様の千春さんから、村上先生から僕宛に とメッセージをいただいた。そこにはこう書かれていた。

「下河原さんが夢だった。下河原さんが夢を表してくれる。
 凄く嬉しい。自分の恩師や永森みたいに、人を育てる、
 そういう人になると思っている。作るのが大変なのは自分も
 よくわかっているけど、何年かした時に後に人が続いて
 色んな形になっていたらいいなぁ。
 ありがとう。心配してくれて。充分だよ」

僕は無理を承知で、お願いのメッセージを千春さんに送った。
いや、お願いではない。
断られても行きますとすでに家を出ていたのだ。
村上先生との夕張での出会いをつないでくれた本(『村上スキーム』)を抱きしめて。
わがままは認めます。
たくさんの人たちが会いたい気持ちを我慢しているのに。
でもどうしても我慢できなかった。
そして、やっぱり先生は会ってくれた。

病室には村上先生と話す北大の若い医師がいた。
その若い医師は村上先生に憧れていたと告白をしていた。
ここにも同じ気持ちの人がいることが無性に嬉しかった。

村上先生は普段と何も変わらない表情で僕の顔を見て微笑んでくれた。
いろんな話をしてくれた。あの大雪の中、夕張で出会った日のこと。
安心して人が死んでいける住宅をつくること。
家族のこと。これからの事業のこと。
私の事業がシンガポールで表彰されたのを自分のことのように喜んでくれた日のことも。死の淵に立たされているこの瞬間にも人の心配をしている大地のようなデカさ。
いつもの村上智彦だった。
強くて優しくて希望の人そのものだった。
つらかった。
この世界からいなくなってしまうと思うと苦しくて寂しくて胸が張り裂けそうだった。
でも、悲しんでいる場合じゃないんだぞと感じさせる強さを村上先生は見せ続けてくれた。
いつものようにやる気に満ち溢れた状態で僕を送り出してくれたのだった。
なんて人なんだろう。
僕は村上智彦になりたい。
少しでも村上智彦に近づきたい。
病室を出る時に最後に見た先生は、天井を仰ぎ、心に刻む祈りのような表情だったことを今でもはっきりと覚えている。

大切なことはすべて先生が教えてくれた。
会いたい。
村上智彦に会いたい。
あの人は優しいからすぐに甘えさせてくれるけど、もうここにはいない。でも、すごく強い力で今でも支えてくれている。
これからどんなことがあってもそばにいてくれると思っている。もう孤独ではないと教えてくれたんだ。


勇気を持って進んでごらんと、いつも励ましてくれた。
俺たちで変えるんだ。
絶対にできる。
多くの人に希望を与えてくれたあの人に続いていくんだ。

村上智彦が目指している場所は、今でも誰かの心に生き続けている。

第6回【最終回】 「私をはげますもの」とは・・・

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